○ プロフィール ○
舞踊人生一路、半世紀を超える。 幼い頃、わが民族が生んだ世紀の舞姫、崔承喜に憧れ、その恩師、石井漠の門下生となる。バレーを服部智恵子・島田広、民族舞踊を趙沢元、金長安、鄭夢燕に師事する。 1957年、若干21才にして〈任秋子朝鮮舞踊研究所 〉を設立し、在日の朝鮮舞踊の草分け的存在として注目される。
1959年研究所の第一回発表会を(東京・千代田公会堂、川崎教育会館)にて催し、話題を集中。
28才の時、朝鮮民主主義人民共和国功熟俳優称号第一号(在日舞踊家として)引き続き、芸術家の最高の称号、人民俳優称号を授与され、在日舞踊界で第一人者の座を不動のものとする。
1962年 金剛山歌劇団に入団し舞踊部長に就任
1964年 東京オリンピック記念公演(浅草国際劇場)にて祖国・朝鮮の名作〈寺堂舞〉〈歓喜〉を踊り、絶賛を博し人気絶好調。
1974年 初のピョンヤン公演にて大喝采を博す。
日本全国津々浦々、5,000予回に及ぶ公演活動ートップソリストとして活躍。やがて、在日同胞はさることながら朝鮮の国 民的舞踊家として君臨する。
在日朝鮮文学芸術家同盟中央舞踊部長を長年歴任する
1975年以降は、振付・創作に専念し実に450余りの作品を創作した。
1994年12月 メルパルクホールにて、〈舞踊と共々に40年〉任秋子創作舞踊公演を 大盛況の中、成功させ任秋子の舞踊世界の集大成を披露する。
1997年に金剛山歌劇団を退団。
1998年 新たに任秋子民族舞踊団を開設し、崔承喜流朝鮮舞踊の研究に情熱を燃やし、後進の指導、創作活動、公演活動と幅広い活躍をしている。
2000年 新宿文化センターにて、〈チュムノリ〉公演主催し、南北の在日舞踊家50人が出演し、ハンギョレの心を一つに熱く舞い、民族統一の念願を感動的に表現した舞台をなしとげた。
2003年11月鄭湖月さんと民族の歌と踊りで固く結ばれた友情〈絆〉ジョイントコンサートを盛大に催す等々。〈愛と平和のシンホニー〉には主力メンバーとして毎年出演(県民ホール)
70才を目前に今日も若手と共にまた踊る=生涯現役
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